● 中公文庫
・「日本の情緒、まさに温故知新!」
冒頭部分はあまりに時代感覚が違う内容で抵抗感を持つと思うが、読み進むにつれて、現代失われてしまった「陰翳」の魅力に引き込まれて行く。 著者が京都の有名な料理屋で、蝋燭の灯のもとでお膳の料理,漆器の椀物を食するくだりは秀逸で、さすがに文豪谷崎と思わず唸ってしまう。 ・・・もしあの陰鬱な室内に漆器と云うものがなかったら、蝋燭や燈明の醸し出す怪しい光の夢の世界が、そのはためきが打っている夜の脈絡が、どんなに魅力を減殺されることでしょう。・・・一つの灯影を此処彼処に捉えて、細く、かそけく、ちらちらと伝えながら、夜そのものに蒔絵をしたような綾を織り出す。(本文より) 谷崎は、美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳の綾だと説く。 そして、失いつつある日本の文化、陰翳の世界をせめて文学の領域に呼び返したいと述べている。
「陰翳礼讃」は昭和8年、著者47歳の作品で、当時としてはかなり斬新なエッセイであったと思われる。現在でも著名なエッセイスト達がかなり参考にしている節が見受けられる。 ものの本質を見失わず、また文化という便宜性や利便性にも流されないで、美や情緒という観念的なものを如何に表現するか。大変参考になる作品である。
・「腑に落ちた感じ」
「ヨーロッパはオレンジ色で、日本は白い」といつかテレビで言っていたのを思い出した。夜景の話だ。蛍光灯の明かりは、戦後の経済成長とともに普及したそうだ。その明るい白色の光は、夜もわたしたちのテンションを上げ、興奮させておくのに役立った。蛍光灯の生活に慣れたわたしにとって、著者の陰翳を賞賛する視点はとても新鮮だった。と同時に、古い日本家屋や寺社仏閣に入ったときに感じる「なんとなく落ち着く」感覚のルーツを発見したような気になって、うれしく思った。日本人としての美意識はわたしにもちゃんと残っていたんだな、と(笑)。古い寺などをまわる前にもう一度読もうと思う。
・「文豪のトイレ随筆に注目」
陰翳礼賛。日本の伝統美を語る名随筆としてあまりにも有名な作品。であるばかりでなく、同時収録の他の随筆もみな面白いもの揃いです。とりわけ、「な~んかとっつきにくそう、タルそう」とお思いの方にもお勧めなのが、最後に入っている「厠のいろいろ」。厠、そうトイレです。美しいものにしか興味関心のなさそうなこの著者にしてこのテーマというだけで驚きですが、意外にもかなり楽しそうにうんちくや体験談の数々を披露してくれています。トイレ・エッセイの嚆矢と言ってよいんじゃないかと思われます。そして中国の故事として紹介される理想的な(?)トイレ、というのがまたいかにも凝った奇想の一品なのですが、さてどんな代物か、興味を持たれた方は是非ご自身でご確認下さい。もちろんトイレ内読書にも最適。文豪が一気に身近に感じられる(かもしれない)、短くて楽しい一編です。
・「昔の日本」
昔の日本は、夜の長い帳の中、暗い灯りの下でこその優美、耽美な世界を楽しんでいたのだなと、思いました。昭和初期に書かれた本なのに、「日本は、アメリカのマネばかりしようとしている。」など、谷崎氏の辛らつな意見には、今に通ずるところが多く、楽しめます。ドコモかしこも明るくなってしまった日本、この国固有の美的感覚はどこに行ってしまったのかと、残念な気がします。ちょっと日本文化を見直せるいい機会になると思います。。アインシュタインが、日本を訪れた時の印象ものっていました。へー、っという感じでした。お勧めです
・「懐かしき日本」
初めてこの本を読んだのは学生の頃、蒸し暑い夏だったのを今もよく覚えています。何故なら、エアコンもなしに読んでいたその時、本の中から心地よい風が心の中を吹き抜けたから。
日本家屋の良さ、日本古来の風習...当たり前のことが当たり前ではなくなった今、本当の四季を感じることさえ薄くなってきた今、この作品を時々無性に読み返したくなります。
・「新鮮!」
陰翳礼讃(いんえいらいさん)これはお勧めです。読み終えたあと、70年程前に書かれたとは思い得ないほど新鮮な感じを受けました。豊かな感受性と表現力を感じて下さい。
・「デザイン関係者必読」
谷崎潤一郎による戦前の名エッセイ。日本人の根底にある美意識を、当時急速に日本に浸透しつつあった西洋文化と比較することで見事にあぶりだしています。
デザイン関連の何冊かの本で、陰翳礼讃のことが絶賛されていたので読みました。最近読んだ本では「デザインの深読み(坂井直樹)」と「商いデザイン(永井資久)」、これら以外にも昔読んだデザイン関連本の中にも陰翳礼讃のことが書かれていた記憶があります。
「デザインの深読み(坂井直樹)」によれば、陰翳礼讃は今や世界のプロダクトデザイナーの愛読書になっているのに、日本のデザイナーでこの本を読んでいるのは年配者ばかりで将来がやや不安だ、とのこと。全く同感です。
70年以上も前に書かれたこの本がいまだに読まれ続けている、しかも世界中で。この一点を持ってして、この本の秀逸さがわかっていただけると思います。しかも読んでいて単純に面白く、とても読みやすいというのも素晴らしい。それも、長く読まれ続けている理由の一つだとと思います。
日本の文化・美意識の素晴らしさを改めて教えてくれたこの本に、感謝です。
・「失われた価値観」
建築を志すものとして、まずはこれを読んでほしい。
なぜみそ汁のお椀は黒いのか。
「陰影」のなかで我々の祖先はいったいどのように快適に生きたのか?
日本の建築を探る一冊。
・「圧倒的な文体のエセー」
谷崎潤一郎の文章は肉厚で、まろみがあって、流れる。自然な流れで無理なく読める名文だと思う。志賀直哉の日記のような文章は、あれも達意の名文だけど、それをだいぶスケールを小さくして、頭で練り上げた文体でエセーを書いた人は、小林秀雄だった。日本のエセー・批評は、小林秀雄の文体が何処となく「理念」になってしまった。「理路」や「自意識」が研ぎ澄まされた文体は見事だが、これでは、「独断」を書けなくしてしまった、と思う。「表現」は「理路」のしもべになってしまった。だが、言いたいことをもっと大胆に語っても良いではないか。「表現」という一瞬の中でテーマを現象させることが出来たら、「理路」はどうでもいい筈だ。『陰翳礼賛』はこれを実現した。今は忘れ去られた「闇」「薄暗がり」といった「陰翳」、これが、日本の文化の「地」だ、という。女性美も、漆器も、厠も、全ての生活のなかの「美」は、この「地」の中の「図」だ、ということだ。と、ゲシュタルト心理学みたいな解説をすると、もう、このエセーの魅力は半減する。圧倒的な文体の表現力の中で現れる「陰翳」、その「美」は、それだけで十分に説得力がある。この書物自体が、まさにその伝統美を体現しているからだ。「批評家」では不可能な離れ業である。四十年以上も前であれば、田舎のどこかにまだ残っていたかもしれない「日本の美」が再生してくる。再生できなければ、その「美」について、語ることは出来ないし、説明しても意味がないのは道理だ。大作家にして可能であった偉大なエセーだと思う。
・「再読。」
陰翳礼讃、この文章とのはじめての出会いは、たしか高校生だった。国語の教科書に、一枚の写真とともに文章の一部が載っていたのだ。
写真はモノクロで、古い和室(寺か?)の開け放たれた丸窓から、その向こうにある庭の一部が覗いている図だった。白と黒のドットからなるその写真は、谷崎潤一郎の
文章を読み見つめると、なぜかモノクロながらも鮮やかな印象を私に抱かせた。背中がゾクゾクしたのをおぼえている。
あの時、「陰翳の美しさ」を感じられる場は、少しながらもまだ私の身近にはあった。あれから10年近くが経ち、闇を打ち払うかのように煌々と明るい所を出入りする自分は、
再びこの文章を読み、あの時のゾクゾク感を味わえるだろうか。
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