キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)
J.D. サリンジャー(著), J.D. Salinger(原著), 村上 春樹(翻訳)
・「大人社会に疑問を持っている人へ」
JFK、J.レノンを暗殺した犯人がポケットに入れていたという、いわくつきの小説。 高校を退学させられた少年・ホールデンが、大人社会を語り口調で痛烈に批判する。この作品の特徴は、50's米国の汚い若者言葉が連発されていることであり、それが発刊当初、図書館に置いてもらえなかったという理由の一つである。ホールデンの将来の夢は、一面に広がるライ麦畑で、どこを走っているのかわからず崖から落ちそうになる子どもたちをつかまえる役――"the catcher in the rye"――になることだったが、このryeは、嘘の多い大人社会という意味で、lieと韻を踏んでいると考えられないだろうか。あてもなく街を彷徨い、嘘ばかりの大人社会に片足を踏み入れて、誰かにつかまえて欲しいと願ったのは、本当は彼自身だったかも知れない。日本版は野崎・村上の2人によって訳されているが、野崎訳の攻撃的な言葉と流れるようなリズムが、よりホールデンという人物を的確に表現しているかも知れない。村上が、この作品をどう解釈したのか、著者(サリンジャー)の要請により実現されなかったという解説を読んでみたい気がする。
・「がっかりしました」
野崎氏の訳が最高だったから、なおさらがっかりです。野崎氏の訳のホールデンは最高にカッコよかったのに、村上氏のホールデンはちょっとお上品すぎるというか、毒気が抜けたというか…なんかホールデンがそこらにいるオタク系の男の子って感じがして魅力が半減してしまいました。
・「村上訳だからといっていいわけではないのだよ。」
私は原書の翻訳の野崎訳を推薦します。この本は世界的に有名で各国で翻訳がされており、一度は読んでおくべき本でしょう。従って、私はこの本をあなたが手に取るものだとして、レビューを書きます。断然野崎訳です。当時の原書はその時代の反抗的若者の言葉遣いを知る上で、文学的に、そして文化的にも貴重なものと
認識されています。野崎氏はその点に留意し、ホールデン(主人公)の言葉遣いを難解な作業でありながら、日本語でその気品に満ちた反抗性を表現しています。一方、村上氏はその気品を重んじるあまり、反抗性への留意が欠如しており、現代の小説を読んでるイメージを受けるとともに、この小説がなぜ、ホールデンが一人称として物語
が展開していっているのか、を考えさせることができていない。と思います。そして、言うまでもなく、村上訳が野崎訳をベースに編成されていることを留意すれば、断然....でしょう。
・「わからないけどいい」
村上春樹の「キャッチャー イン ザ ライ」を読んだときは、退屈で退屈で仕方なかったんですが、「フラニーとゾーイ」にえらく感動してしまい、野崎氏訳で読んでみました。
主人公ホールデンが痛々しくて、かわいそうで、つらかったです。「もうやめろよ、早くホテルに帰って寝てしまえよ」って思うのに、ぼろぼろの状態で街をさまよって、さらにぼろぼろになっていくホールデン。
フィービーの言葉が胸に突き刺さる。『兄さんは世の中に起こることが何もかもいやなんでしょ』多分あたってて、でも本当でもない。「そうだよ」て、返事できるようくらい割り切れてたなら、ホールデンはこんなに傷ついてないと思う。
斜に構えてるんじゃない。自分自身に対して、世間に対して、悩んで苦しんで一生懸命なんだと思う。だからぼろぼろになっても、何かを求めて街をさまよい続けるんだと思う。
…なんて、よくわからないけど、とにかくホールデンがつらすぎてかなり感情移入して夢中になって読んでしまいました。なので、野崎氏訳で読み直してよかったなと。でも、人によっては逆もありかもしれません。名作だと思いますので、だめだと思った方、他バージョンでも試してみてはいかがでしょうか?
・「これはロックだ。」
本作は背伸びをしたい10代の心境をリアルに切り取っています。そこに私は深く共感することができました。
きっと主人公ホールデンは、20代にもなれば、己の行動を反省する日が来るでしょう。しかし、本作はあくまで10代のままのホールデンの追想としており、彼は反省なんかしてません。それは、10代であるから可能なことであり、10代はそういう粋な生き方ができる年代なのです。
その微妙な感覚を非常にリアルに表現した著者サリンジャーはやはり天才なのだと思います。
『本当に僕が感動するのはだね、全部読み終わったときに、それを書いた作者が親友で、電話をかけたいときにはいつでもかけられるようだったらいいなと、そんな気持ちを起こされるような本だ』(本文中 ホールデンの発言より)
そんな小説です。
・「青年文学を超えて」
この本は知的な青年の多くが経験するであろう疎外感を巧みに表現していて、特に最後に近い章では涙を誘う物語である。しかし、ただの青年文学として位置付けられるものでもない。ホールデン少年の感性は、大人になった我々に、今をよりよく変えようという力を与える。いつページを開いても、やさしい気持ちと希望を与えてくれるのである。
・「強化された「怖さ」」
原作はブロークンな(4文字言葉もさらりと入った)口語体で書かれているので,以前の訳本と比べてよりくだけた感じに仕上がっていることを期待していたのですが,意外とオーソドックスだと感じました(前訳書に比べればずっと現代風ですが).前訳書と比べてよかったと思ったのは,主人公が直接自分に(読者に)語りかけている感覚が強まったこと,そして物語全編を通じて醸し出される「怖さ」がより強く感じられた点.主人公自身が,鬱屈した自己と自分のコンプレックスをチャラチャラと話し,自分が精神的に追い詰められていく様子を軽くおしゃべりするかのように表現するある種の怖さがとてもよく表わされています.これによって,ライ麦畑の横にある崖(ピュアな子供の世界と,欺瞞と偽善に満ちた大人!の世界との挟間)にも得体の知れない怖さが匂っているように感じます.
・「スピード」
僕が野崎訳のライ麦畑を読んだときに、一番印象に残ったスピード感が全然無くなっているように感じた
夏目漱石の坊ちゃんを読んだときも感じた、あのスピードはどうしたんだろう?
もし、野崎訳か村上訳か選ぶなら野崎訳を選ぶ村上さんの小説はほとんど読んでるけどね・・・・・
・「アンダーグラウンド」
この作品を読み人で高校時代や大学時代の青春を字の如く謳歌した人ははっきりいってなんとも思わないでしょうしかしそういう華やかなアメリカでいうなら「プラム」日本で言うなら「文化祭」を楽しめなかった者にとってそれは正にアンダーグラウンドな思想の悶々とした妄想でしか自分を保管できなかった若者にとってこの作品は映画「タクシー・ドライバー」と同じくらい特別な意味を持って胸に訴えかけてくるものがある
ホールデンは全ての柵を捨てて出て行こうと決心するそれは愛した妹でさえ捨てて「目も耳も聞かず、そして同じような奥さんをもらってライ麦畑のキャッチャーになろう」と決めてそれは規則にまみれた社会へのいくら足掻いても結局は大人にならなくてならない憤りへのホールデンなりの反抗のだったのだ
しかし結局何も出来ずに戻ってきてしまうそれはたった一夜だけスターになった「トラヴィス」と同じやるせなさがある
かつのニュー・シネマの主人公達がそうだったように本来の若者たちは胸の中の闇を抱え悶々と生きるべきなのに今の若者は若いうちから達観しすぎている
ホールデンがいきなり切れる理由も何もかも判ってくれない社会や他人に対する「もーどーでもいいっス!」的あきらめを上手くあらわしている
他人は口だけだですよ本当にそれは「幸運を祈るよ!」などと軽く口ずさむくらいに今の社会には「元気出せよ!頑張れよ」的な軽い言葉が溢れ返ってます
若いうちとはいわないからせめて自殺するまえに読め!
・「主人公の見る世界は・・・・」
一度は主人公のホールデンのようなことを思ったことは少なくとも多いのでは?彼の周りが信じられないような、欺瞞で出来た世界なのかもしれないと。主人公は孤独ではあるが純粋な目をもっている反面、アルコールやタバコの乱用、セックスや売春等など大人の汚いところを見に付けようとしている。
主人公が妹のフィービーに会いに行き、そして妹の純粋な言動にも面白い。
明確な起承転結は無いがある意味強い主義や哲学を感じる。
「世の中に不満があるなら自分を変えろ、それが嫌なら耳と目を閉じ口をつぐんで孤独に暮らせ」 と、ほかでも転用している言葉ですね(笑)でも、この言葉よく分かりました。
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